「小屋」と聞くと、どんなイメージを持ちますか?
・狭い
・小さい
・人が住むようなところじゃない
そんなネガティブなイメージを持たれるかもしれません。
ただ、本当は家・住まいの原点は「小屋」にあるのではないか。
住宅建築家の中村好文さんはそう語っています。
目次
小屋の条件
中村好文さん著「小屋から家へ」では、その「小屋の条件」についてこう書かれています。
一.床面積が小さく、ワンルームかワンルームに近い簡素な間取りであること。
二.建物の内部、外部ともに簡素な(というより、いっそ粗末)な材料でつくられていること。
三.その中で人の暮らしが営めること(あるいは営めそうな気がすること)。
四.生身の人間が、肉体的、身体的、生理的、即物的に住むための場所というだけでなく、理性も知性も完成もそこに安住できる「精神のすみか」の品格を備えていること。
五.なにより自分自身と心静かに向かい合える場所であること。
「人のすまいの原型は小屋にある」
中村好文さんの自説は「人のすまいの原型は小屋にある」。
僕も共感します。
中村好文さんも国内、海外ともに好んで旅をされる方みたいです。
個人的にはその「旅好き」がこの自説につながってくるのかな、と感じます。
長く旅をしていると、重たい荷物を持ちたくないので、必要最小限の荷物になります。加えて、贅沢な旅でなければないほど、寝るところも狭く、コンパクトになります。
宿泊費の安いところは、より原始的な機能だけに絞られるからです。それが安価なので。
そういうわけで、旅を続けていくにつれ、ローコストな旅をすればするほど、原始的で簡素な生活をすることになります。
そうすると気づくことがあります。
「・・・あっ、結局、こういうので十分なんだよな・・・」
人がひとりであれば「立って半畳。寝て一畳」という言葉の通り、床面積などそこまで必要ないです。個室がなくても生活できますから、ワンルームかワンルームに近い簡素な間取りで十分。
旅をしていると、小さく、簡素なつくりでも、人は暮らすことができるのだと強く実感できます。
同じようなことを中村好文さんも感じられたのではないか、と思ったりします。
たしかに家・住まいとなると、家族で暮らすことになります。
規模的にも大きく、内容的にもより豪華なものになります。
ただ、その住まいの原点としては、やはり小屋という意識も必要なのではないかとも思うのです。
本質的に人の住まいということに立ち戻ったとき、そこに小屋があるのだと感じます。
まとめ
本当はコンパクトでも、暮らすことができます。
本当は簡素なつくりでも、暮らすことができます。
難しいところですね。
せっかく家を建てるのだから、
「10平方メートルの客室の簡素なつくりのビジネスホテル」
より
「100平方メートル超える客室の豪華な高級ホテル」
のような家にしたいもの。
そこに予算の問題が入ると、また難しい選択に迫られます。
そういうときにこそ、住まいの原点としての「小屋」を意識されると、グッとよい家になるのではないでしょうか。
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