TOTOはチームワークの勝者。
僕はそう感じました。
100年以上の歴史を誇る大企業TOTO。
▼TOTO本社。社長室もあるらしい
その本社と小倉第一工場のそばにあるのが、TOTOミュージアムです。
TOTOミュージアムは創立100周年を記念して建てられました。
目次
創立100周年記念のTOTOミュージアム
本社と小倉第一工場の敷地はなんと148,716平方メートル。
東京ドーム3個分を超える規模の広さ。
業績を見れば、その好調ぶりがわかります。
売上高5738億円、経常利益493億円。
一般的な知名度も高く、ブランド力のある企業です。
一方で、その歴史を紐解くと、強烈な創業一族の存在が浮かび上がってきました。
▼TOTOミュージアムエントランスホール
強烈な事業家・森村市左衛門
TOTOにおける、日本のセラミックス業界における、重要なキーパーソンは6代目・森村市左衛門です。
6代目・森村市左衛門は7歳で母を失い、13歳で呉服商・笹山宇兵衛の小僧となります。
16歳の時に江戸の大火により屋敷・家財を全て失い、五郎兵衛町に転居します。
しかし、翌1855年の安政江戸地震に再び焼失したため銀座三丁目に賃居し、震災の片付け人足としての労働の傍ら、夜は銀座で露店を出し煙草入や財布を売ったそうです。
財を成し、1858年の日米修好通商条約締結による開港を受けて、翌年から横浜で外国人の洋服・靴・鉄砲・懐中時計などを仕入れ、土佐藩・中津藩などに販売を始めます。
▼ウォシュレットの初期型
明治維新後、その資金を元に様々な事業を行ったが、ほとんどが失敗し破産。
そこから戊辰戦争関係での馬具製造工場の経営をはじめ、成功。
借金の返済に成功します。
1876年に弟の森村豊がニューヨークに渡ることを決めたことで、森村組(現・森村商事)を設立しました。
一方で、妹婿・大倉孫兵衛は日本橋で老舗の絵草紙屋を経営していたが、間もなく森村組に参加します。
1800年代末までの事業としては、骨董や陶器、日本の雑貨・工芸品を輸出しており、当時アメリカでの生産がほとんどなかった陶磁器が大きく成長します。
森村市左衛門率いる森村組の推移
1882年に陶磁器の輸出に将来性を見出し、小売から卸売に転換。
1893年には名古屋に専属窯を設けるようになり、大きく成長していきます。
1899年、当時はグレーがかった色味だったので、白色硬質磁器の製造研究を開始します。
1904年、日本陶器合名会社(現在のノリタケカンパニーリミテド)を設立します。
1921年にはディナーセットの対米輸出が6万セットを超えたそうです。
1914年日本の陶磁器輸出に占める日本陶器社製品の割合は40%以上となったそうです。
このような背景から、硬質磁器の製造技術を活かして1919年には日本碍子株式会社を設立します。
衛生陶器については1912年から研究を行い、1917年に東洋陶器株式会社(現・TOTO)を設立します。
TOTOの始祖・大倉和親
TOTOは、そもそもは森村ファミリーの一員であった妹婿・大倉孫兵衛の子、大倉和親が父とともに1903年、製陶技術の視察のためにヨーロッパ視察をした際、清潔感のある真っ白な衛生陶器に出会ったことがきっかけでした。
そこに将来性を見出した彼は上下水道が未整備の時代に衛生陶器開発をスタートします。
▼TOTO初代社長・大倉和親
日本陶器合名会社(現・ノリタケカンパニーリミテド)の製陶研究所が母体となり、国産第一号の水洗便器を製造。
原材料の調達、燃料である石炭の調達、門司港があり輸出にも便利ということで、福岡県企救郡板櫃村(後の小倉市、現・北九州市小倉北区)に約17万平方メートルの土地を購入して工場を建設しました。
欧州の製品を超え、世界進出する旨の目標が設立当初からあったことが、その先見性と目標の高さがうかがえます。
6代目・森村市左衛門という、日本銀行監事に就任するほどの強烈な大事業家のリーダーシップと資産を背景に硬質磁器の事業展開を図っていったのがTOTOのスタートと言えるわけです。
現在は森村グループということで、「世界最大のセラミックス企業グループ」を形成しており、TOTO、日本特殊陶業、日本ガイシ、ノリタケカンパニーリミテドという東京証券取引所一部上場企業の中で陶磁器売上高上位5社のうち1、3~5位を占めています。
▼六代 森村市左衛門の展示
TOTOを含む森村グループ
ただ、注目すべき点としては、現在のマネジメント状況を鑑みますと、森村グループというつながりを持ってはいますが、森村一族の直接的な支配は森村商事株式会社にとどまっているということです。
森村商事株式会社自体も、売上高778億円という大きな会社ではありますが、日本碍子株式会社の売上高4000億円、経常利益645億円。日本特殊陶業株式会社の売上高3729億円、経常利益555億円と比較すると、せっかくの森村財閥がもったいない気もします。
通常の事業家としては創業者が強烈なリーダーシップで規模を拡大。
その後は創業一族が年数を経ても一族として現在もリーダシップと一定の資本を持っているのがよく見られるパターンです。
たとえばトヨタ自動車は豊田氏が社長となり一族がリーダーシップをとっています。竹中工務店は竹中一族がリーダーシップをとっています。
▼ネオレストNX。定価57万円也。
ただ、今回話を色々と聞いてみると、どうやらTOTOはそうではないということがわかってきます。
現在、TOTOの主要株主は明治安田生命やTOTO自社、日本生命、三菱東京UFJ銀行や積水ハウス、外資その他ということで、森村一族による支配というわけではないのです。
それはTOTOだけではありません。
ノリタケカンパニーリミテドも明治安田生命が筆頭株主で、第一生命、三菱東京UFJ銀行、TOTO、日本生命、東京海上日動火災、取引先持株会が主要株主です。
日本碍子株式会社も、第一生命、明治安田生命、三菱東京UFJ銀行、日本生命、外資その他が大株主。
日本特殊陶業株式会社は第一生命、明治安田生命、三菱東京UFJ銀行といった面々が大株主。
総じて申し上げれば、これらの会社は「生命保険の預け入れ金の運用先」となっており、森村一族の強烈な支配的リーダーシップがとられているというわけではないのです。
もちろん、森村グループということで、森村一族によるリーダーシップは行われているものの、資本的な支配やコントロールは手放されているところに、森村一族の思想が見て取れるように感じます。つまりは「カネだけではない、何か」があるというわけです。
▼ネオレストNX。使ってみました。
森村市左衛門の思想
純粋に資本的な支配をしていれば、森村商事が小さいとは言えない規模の売上778億円だけではなく、TOTO5738億円、日本ガイシ4000億円、日本特殊陶業3729億円、ノリタケ1088億円の合計1.5兆円の直接的影響力を持てていたわけですから。
6代目・森村市左衛門の思想をいくつか拾っていきますと「海外貿易は四海兄弟万国平和共同幸福正義 人道の為志願者の事業と決心し創立せし社中也」「私利を願はず一身を犠牲とし後世国民の発達するを目的とす」という高い目的というか、意思が見えてきます。
TOTO、日本碍子、日本特殊陶業、ノリタケなどの森村組から派生した森村グループはたしかに、6代目・森村市左衛門という強烈な存在があったからこそ、発展を遂げたと考えられます。
ただ、その一方で、創業家の強烈なエネルギーはあったにせよ、彼らの発展は森村一族だけではなしえていないということも垣間見えます。そこで働く人たちのチームワークによってその勝利がもたらされたのではないでしょうか。
6代目・森村市左衛門という波瀾万丈の人生を送った大事業家とともに、その名を歴史に残してはいないけれども、事業を発展させるべく懸命に奮闘していった、そこで働くチームの努力が実った現状。それがTOTO創立の歴史なのだと感じました。