3歳の娘と保育園が主催する「田植え」イベントに参加してきました。
福岡の郊外にある住宅地のすぐ近くに、田んぼばかりのエリアがありました(建築・不動産業者的には「市街化調整区域」と呼ばれるエリアですが)。
そちらで田植えさせていただいたわけです。
その田んぼ自体は保育園関係の持ち物というわけではございませんでして、保育園の理事長さんのお知り合いの方の田んぼということで、色々とお話させていただくなかで、思うところがありました。
「自然素材住宅と無農薬農業は同じだ」
という話です。
目次
自然素材住宅と無農薬農業は同じだ
その田んぼの方とお話させていただいたのですが、その方は無農薬農業をされていらっしゃるそうです。
色々な無農薬野菜、無農薬米など、健康や無農薬にこだわって農業をされていらっしゃって、すばらしいなと感じます。
そのような話をさせていただくなかで、無農薬栽培・無農薬農業は自然素材住宅と似ている、と思うにいたりました。
なぜか、と申しますと、大きく3つの共通点が見つかったからです。
1.少数派
まず、無農薬農業も、自然素材住宅も少数派です。
無農薬農業でつくられた無農薬野菜は量販スーパーにはあまり置いてないのではないでしょうか。
無農薬野菜を売っているスーパーはかぎられています。
それは少数派だからです。
そもそも自然素材住宅とは?
そもそも自然素材住宅とは、自然素材をふんだんに使用した家のことです。
仕上げの素材に自然素材である無垢の木、珪藻土や漆喰などの左官壁(左官塗り壁)、石や紙など、自然にある素材を使った家づくりです。
自然素材の家って、少ない?
自然素材を使った家は少ないです。
圧倒的大多数が、自然素材ではない素材、多くはプラスチック(樹脂)をメインにつかった住宅になります。
床をプラスチックのフローリングやフロアタイルといったプラスチック製の商品が多いです。
壁や天井はビニールクロス。
このような仕様が一般的です。
10軒中、8軒はこのような仕様だと思います。
その理由はおおきく2つです。
ひとつは後述しますように、お金がかかるからです。
自然素材は自然のモノなのですが、それを使う手間やコストがかかりますので、お金がかかります。
プラスチックは石油由来なのですが、コスト的にはすごい安いです。
もうひとつは、クレームが少なくなるからです。
たとえば、珪藻土や漆喰の左官塗り壁はひび割れリスクがあったり、端の部分が汚かったりとクレームになりがちです。
その一方で、ビニールクロスは下地にたとえヒビがあっても、影響しないですし、柔軟性があるので伸びます。クレームもなくなるようなつくりをしています。
そういうわけで、自然素材住宅は少数派です。
2.手間がかかる=お金がかかる
2つ目の共通点は「手間がかかる=お金がかかる」です。
無農薬農業のお話を聞いたかぎりでは、それは手間がかかるようです。
無農薬野菜をつくるにも、種の段階で無農薬でないといけないですし、栽培方法も、農薬をまかないのですから、農薬を撒かずして対応策を練らなければなりません。
同じように自然素材住宅も「手間がかかる=お金がかかる」です。
たとえば、無垢の木のフローリングを貼るのと、プラスチック製のフローリングを貼るのとでは、手間のレベルが違います。
プラスチック製のフローリングがさくっと1日で終わる内容を無垢の木のフローリングですと、2-3日かかります。
また、壁もビニールクロスでは5日かかるところが、珪藻土や漆喰などの左官塗り壁の場合、10日かかったりします。
これだけ日数がかかり、手間がかかるということは、時間がかかるということです。
時間はすなわち人件費です。
人件費ということは、お金です。
無農薬農業も、自然素材住宅も、それ以外のものに比べれば、お金がかかります。
3.でも、いいモノ
ここまで、ネガティブな話が多かったように思います。
ただ、最後の共通点として、申し上げておきたいことがあります。
それは「でも、いいモノ」だって、ことです。
無農薬野菜や無農薬米はなぜ、わざわざ大変なのにそうするのかと問われますと、「良いモノだから」です。
農薬がない分、体に健康なものであったり、害が少ないものであったりします。
自然素材の家も、自然素材に包まれていますから、素材感があって美しいですし、また、雰囲気も柔らかい感じで、無垢の木のフローリングは肌触りがよく、心地よい空間になります。
このように共通点がありまして、また、お金もかかるということはわかります。
実際、自然素材住宅も、無農薬野菜・米も全部が全部は難しいかもしれません。
すべての食事を無農薬なものにしようと思ったら、すごい生活費がかかって厳しい家計になる可能性もあります。
自然素材住宅も、同じようなことが起きかねません。
ですから、全部が全部は難しいにせよ、少しでも、何かしら取り入れられると、よろしいのではないか、と思うのです。
そう思った田植えの日でした。